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「他国には独立国の政府を裁く権利はないと思う。しかも被告は寄せ集めの、政権の代表とは言えない者ばかりだ。私が初めて聞いたような取るに足らない者までいる。ドイツを動かしていたナチの大物の中に私を含めたのは正しいと認めよう。しかしなぜフリッチェがいるのだ?彼は宣伝省内に何人もいた局長の一人に過ぎない。それに何の罪も犯していないフンクのような者まで含まれている。彼は命令に従っただけであり、命令を下したのはこの私だ。さらにはカイテルも裁判を受けている。彼は陸軍元帥と呼ばれているが、ヒトラーの命令には何でも従う小物に過ぎない。被告の中で裁判にかけられるに値する大物がいるとすれば、私、シャハト、それからヒトラーの非力な追随者に過ぎないが、たぶんリッベントロップ、またニュルンベルク法を提案したフリックぐらいだ。ひょっとすると他の数名、たとえばローゼンベルクとザイス=インクヴァルトも含めてもよいかもしれない。残りは全て手下であって自分の意思で行動することなどなかった。参謀本部の起訴もお笑い草だ。あの軍人たちは戦争遂行の謀議に加わっておらずドイツ軍人なら誰でもそうするように命令に従っただけだ。謀議が存在したとすれば、それに関与したのはすでに死んだり行方不明になった者たちばかりだ。ヒムラー、ゲッベルス、ボルマン、それからもちろんヒトラーだ。私は常々ボルマンを粗野なやくざ者と思っていたし、ヒムラーも信用したことがない。私なら二人とも解雇していただろう。……共同謀議に対する告発は、笑止千万だ。すべての出発点はヴェルサイユ条約にあり、ドイツが国家としての尊厳を回復するための行動をとらざるを得なくなったという事実にある。ヴァイマル共和国は失敗だったし、私はいわゆる民主主義にうんざりした。あの政治形態はアメリカではうまく機能するのかもしれない。しかしドイツには向かない。我々ドイツ人は政治に無関心だし非常に単純なので、選挙を行えばその時々で好きな方向へ揺り動く可能性がある。そういうわけで私は指導者原理が正しいと思っている。ドイツ人はこれまでも強力な指導者を求め続けてきたし、同様にこれからもそういう指導者を必要とするだろう。」(1946年5月28日) (ja) |