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哲学的思想は、ただその思想を創始した人自身から受けとることができるだけである。だから哲学を勉強したくてたまらない人は、哲学の不滅の教師を、その教師の著作それ自体という、もの静かな聖殿の中に探したずねなければならない。不滅の教師ともいうべきほんものの哲学者なら誰でもいい、その人の主要な章を読めば、それについて凡俗の頭脳が作製した冗漫で斜視的な解説文よりも百倍も多くの洞察が、その人の教えについて得られるであろう。さらにつけ加えていえば、凡俗の頭脳はたいてい深くそのときどきの流行哲学にとらわれ、自分らの思いこみにとらわれているものなのである。それなのに、まったく呆れたことだが、読者階層はじつにきっぱりと、他人の手になる解説祖述には好んで手を出したがるのである。こういう場合、実際には、親和力がはたらいているらしく、平凡な人は親和力のおかげで、自分に似た人に牽きつけられるのであり、したがってまた偉大な精神の持主が語ったことですら、自分に似た人から聞き出したがるのである。ひょっとするとこのことは、子供たちが、一番よく学ぶのは自分の仲間からであるという、相互教育のシステムと同じ原理に基づいているのかもしれない。(一八四四年二月、第二版への序文) (ja) |